現代社会で自由に生きるための力は、決められたことを多量に学び蓄積すること
なのでしょうか。

明らかに違います。

小中高の学校が教えていることは、さまざま学問の基礎的な知識です。それは、
子供たちが自由に生きるための不可欠な知識・技能である、と正当化されてきま
した。
しかし、生活に不可欠のものであるならば、生活の中で身に付くものです。
学校で教えていることは、実際は産業社会での人材選抜のツールとして利用され
てきました。

学校で教えることは、もし競争で生き残れば、高い収入と地位に結びつくもので
はあります。そして、もし自発的に生きる力が残っていれば、自由に生きるため
の道具になるものではあります。

しかし、競争に生き残るものは少なく、自発的に生きる力を残しているものは、
もっと少ないのです。小中高と進むうちに、多くの子供たちは、自分が何をした
いのか、わからなくなってしまいます。自分のやりたいことを見失ったところに、
虚栄、落ち込み、嫉妬など、あらゆる寄生虫がとりつきます。

子供たちが必要としているのは、衣食住を支えてもらって自分の仕事に取り組め
るようにしてもらうことです。子供たちの仕事というのは、それは自分の外に、
あるいは内に現れるものと直面し続けることです。それは、全身全霊をあげての
取り組みを必要としているものなのです。

そういう子供たちを援助するのに必要なことは、決して高度な知識を必要とする
ものではありません。そうではなく、私たち自身が何かに意欲を持ったとき、ど
うしてほしかったか。自分が何かに失敗したときに、どう対応してほしかったか。
そのような、当たり前の感受性なのです。